コロナ禍の影響で、ANAの成田ーヤンゴン間の直行便は、ほぼ運休状態ですが、いつの日にか、路線が復活したら再訪したい場所がヤンゴンにあります。
ヤンゴン、ミャンマーと言えば、バゴー等の仏教遺跡が有名ですが、ここでは、飛行機遺跡とでも言うのでしょうか。
それは、ヤンゴン市民公園のフォッカーF-27フレンドシップです!
フレンドシップとは?
ANA好きでも、お若い方はご存知ないかも知れませんが、F-27フレンドシップ昭和30年代半ばから同40年代まで、全日空のローカル線で活躍していた飛行機です。
当時は、全日空は、国内線しかありませんでしたが、唯一の国際線である鹿児島ー那覇線(当時は日本返還前のアメリカ統治時代)でも運航していました。
全盛期には、全日空の全旅客の約半数がこのフレンドシップのお世話になる程ですから、驚きですね。
全日空は、前のオリンピックに先駆けて、初の国産旅客機YS-11を導入しますが、機体規模は、それとほぼ同じ位、戦後のDC-3の置き換えのライバルとも言える存在でした。
同じターボプロップ機ながら、高翼(主翼が胴体の上に付いている)し、窓が大きい楕円形なので、機内から下の風景が良く見えて、普通は景色が良く見えない翼の席も、主脚の出し入れがよく見えたり、飛行機好きにはたまらない機体でした。フォッカーというオランダのメーカー製というのも
しかし、結局、全日空はその後、YS-11の増備を進めていき、フレンドシップは、あっという間に消えて行ってしまいました。いわゆるモヒカン塗装の時代に終焉を迎えました。
時代は流れてヤンゴンに
後日譚にはなりますが、中日本航空が後年、独自に採用したF-50こそ、F-27フレンドシップの子孫、後にANAグループとして、トリトンブルーを纏った奇跡もありました。
ANA時代になって、もはやYS-11も引退してしまいましたが、F-27フレンドシップはヤンゴンで余生を送っています。
尤も、公園に展示されているので、再び飛ぶ事は叶いませんが、滑走路を模した舗装路の先に、F-27は鎮座しています。
まるで、今から離陸しようとしているその姿、見ようによっては、サンダーバード2号の秘密基地での佇まいにも似ていますね。
民主化が進みつつあるとは言え、日本人にとっては、未知の世界であるミャンマー、恐る恐る近づいてみると、後部搭乗口におじさんの姿が…
すると、手招きして、機内を見学する事ができました。
機内には、この機体の歴史を記したプレートがありましたが、残念ながら、新造で導入したのか、全日空かどこかのお古を購入したのかの記載はありませんでした。
昔の翼の王国(B5版時代)には、ヴィッカースバイカウント(イギリス製4発幹線用)が全日空を引退して、インドネシアのメルパチ航空へフェリーする様子載っていましたが、それらしい記事も見かけなかったので、今一確証がないのが残念です。
おわりに
ともあれ、全日空、いや、全日本空輸や藤田航空時代を懐かしく思い出す場所がそこにはありました。
ヤンゴン市民公園内には、まだ修復されていない複数のF-27が放置されていますので、こちらも将来懐かしい塗装を纏うのではと期待してしまいます。
皆さんも、ミャンマーの仏教遺跡を訪ねる間にも訪れてみてはいかがでしょうか。
そうそう、機内を案内してくれたおじさんにチップを忘れずに、
今回も最後までご覧いただき有難うございました。
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