あなたはニコン派?キャノン派?それともS、O、P?

カメラ

先日、ソニーがミラーレスのフラッグシップα1を発表しました。スペックはもちろん素晴らしいのですが、その価格が約80万円!

ヒコーキファンならば気になるのが、オリンパスの超望遠ズーム150-400F4.5TC.1.25x、実質300mmから1,000mm相当のレンズですが、その価格は100万円!

プロの方なら、必要経費として計上するのでしょうが、アマチュアカメラマンとしては、中々最近のカメラ(レンズ)には手が出せなくなりました。

最近のコロナ禍の影響も少なからずあるものの、おいそれと買う、もしくは買い替えるのを躊躇してしまいます。

写真好きの方ならお判りと思いますが、写真の面白さに目覚めてくると、最初に買っていたカメラ(レンズ)を、被写体に合わせ、より良い(高い)ものに買い替えていく、いわゆる、カメラの沼、レンズの沼、に突入してしまいます。

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カメラのシステムはメーカー間の互換性はない

時代は変わっても、基本はそのメーカーのカメラを使うと、同じメーカーのレンズ、又はレンズメーカーの対応レンズ、そしてシステムの沼での選択となります。

あなたは、どのメーカーの”沼”にはまっていますか?

でも、一度決めた、メーカーのシステム、折角大枚をはたいて買い揃えたものが、メーカーの都合によって、継続を断念し、他社に変更を迫られるケースも残念ながら存在します。

突然、メーカーの方針が変わってしまう事も

今までも、私も、事に触れ、メーカーのシステムを変えざるを得なかった事も何度あった事か

その選択に、私の経験談が少しでも役立てばと思って、その拙い経験をお話しをしましょう。

私もカメラに目覚めたのが、中学生の頃、趣味として人気だったBCLラジオ、生録ブーム、ステレオ等音響機材と共に、カメラの世界に踏み込んだのでした。

まずはオリンパスペンから

始めに使ったのが、父から貰った、オリンパスペンD2、当時は当然フィルムカメラ全盛期、ペンは、ハーフサイズとして、36枚撮りのフィルムなら、その2倍の撮影が出来るカメラとして、リコーオートハーフと共に、ビギナーに人気がありました。

余談ながら、リコーオートハーフは、ぜんまい式のフィルム巻取りができて、ダイヤルでの巻き上げにイライラしたオリンパスペンと比べると、巻き上げストレスが少ないと人気がありました。もっとも、ぜんまいなので、だんだん巻き上げスピードが落ちて来るきらいはありましたが…

この”フィルム巻き上げ問題”後年、又、頭をもたげてくるのですが、それはまた後で

オリンパスペンでも、D2はDやEEのF2.8より明るいF1.9のレンズが自慢ではありましたが、ハーフサイズで、普通に構えると、縦長に写ってしまい、横位置にする為に、縦に持ってシャッターを切る事が多くなり、廻りの大人から見られて恥ずかしくなってきました。

勿論、ハーフサイズなので、引き伸ばして見ると、画質のザラツキ感は否めず、35mm、今で言うと”フルサイズ”のカメラが欲しくなってきました。

でも、未だにオリンパス・ペンに郷愁を覚えるのは、このルーツがあるからなのですが、オリンパスブランド、これからも続いてほしいものです。

話は元に戻ります。

そうなると、近所のカメラ店で、各メーカーのカタログを集め、又、学校で、どこのカメラを皆が使っているか、カメラ談義に毎日を過ごす様になりました。

当時、中学・高校時代の皆の使っていたカメラは、熊倉一雄氏の”ペンタックスペンタックス、ボーエンだよワイドだよ”CMでお馴染みのアサヒペンタックス、スクリューマウントが圧倒的に多く、写真部では、ニコンが第一、次に来るのがキャノンでした。

またまた余談ながら、当時、愛川欽也さんがミノルタのSR-TsuperのラジオCMを講談調に熱く語っていたのを思い出しました。宮崎美子さんのポスター目当てでX-7が一時期流行った遥か前の事です。

でも、当時のミノルタの最上級機はX-1、高校に出入りしていた写真屋さんご用達として記憶にある程度(すみません)

それが、今、ミラーレス一眼を謳歌しているソニーαの遠い祖先となる事を、誰が予想した事でしょう。

またまた、話を戻して…

まずは、ニコン、当時のプロカメラマンのほとんどがニコン、FかF2を使っており、プロ野球中継でも、その雄姿を見る事がほとんと、そして、キャノンがその一角に食い込むべく、F-1を発売した頃でした。

但し、高校生位で手の届くものは、ニコマートFTn、せいぜいEL、キャノンではFTb、TLbで、EFだとかなり羨ましがられたものです。

最初はキャノン党!

そんな中、私が買ったのが、キャノンF-1!

父も趣味で所有していたのがキャノンⅣsb(実はⅡd)でしたが、レンズがニッコールの5cm。選択は微妙なところです。

何故か、中学時代にはキャノン党が多く、見えを張って最上位機であるキャノンF-1を買ったのですが、高校の写真部に行くと、そこは、ほぼニコン党!

正直、本体が同じ位の価格のF2フォトミックもしくは、アイレベルにセコニックの露出計にしておけばと少し後悔していました。

当時、というか、今でも、各社、レンズマウントが異なり、キャノン・ニコンのどちらかを選択すると、それぞれのラインアップの中からしか選択できなくなります(当然ではありますが)。

当然、写真部の備品は”ニコン”の為、自分のカメラを使う以上はレンズも自前のみというのも痛いところ。

当時の最大のライバル、ニコン!

当時、ニコンは超望遠2000mmレンズ始め、魚眼までラインアップが充実しており、その選択肢は羨ましいものでした。

片や、キャノンは、F-1に合わせてラインアップし始めた、開放F値自動補正という画期的なシステムのFDレンズですが、いかんせんまだラインアップが充実していない時期でした。

何より、不満だったのが、FD(FLから続く)スピゴットマウント、ニコンのバヨネットと異なり、摺動部が少なく、摩耗もないと謳われていたのですが、その締め付け部のシルバーのリング、折角、ブラックのF-1(とレンズ)をつなぐ部分に違和感があり、ビギナーの友達に渡すと、絞りリングと間違えて回してしまうという危険性も孕んでいました。当時のFDレンズ(Newとなる前)はロック機能が付いていなかったのです。

それでも、写真部の冷たい視線を受けながらも、満を持して発売された80-200mmF4が当時で10万円!という高価格ながら、何とか購入し、東京サミットでコンコルドを撮りに行ったりと活躍したのでした。

その後、いわゆるF-1nと言われる巻き上げ角が180度!から120度に画期的に変化したマイナーチェンジ版を追加購入、その後レンズラインアップも充実し、300mm、500mmミラーレンズ等、キャノンの沼にはまって行ったのです。

しかし、又しても現れた、メーカー格差、モータードライブです。

デジタルカメラでは、なかなか実感が湧きませんが、フィルムカメラの宿命、物理的にフィルムを”巻き上げる”機構が必要であり、当時は手動が主流、いかにファインダーから目を逸らさずに素早くフィルムを巻き上げるか、いわゆる”空撃ち”で鍛錬を重ねた方も多かったのでは?

キャノンF-1は当然プロの使用を想定しているカメラなので、モータードライブを無調整(裏ブタを外す儀式はありました)で装着できました。

最初は、シャッターが底面のグリップにあるものから、グリップ内に単三10本!を仕込んだ3.5コマ/秒のものでした。

流石に、グリップが太く、ホールド性は優れていたものの、値段は高いし重い!し、あるギミックが付いていませんでした。

そのギミックとは”電動巻き戻し”です。

ニコンF2には、MD2というモータードライブが装着可能ですが、巻き上げスピードが5コマ/秒!その上”電動巻き戻し”が付いていたのです。

デジタルカメラの現在では考えも及ばないですが、フィルムカメラの宿命ともいえる、フィルム終了時の巻き戻しの”儀式”があるのです。

フィルムカメラでも、最終期には電動巻き戻し、オートリワインドは標準にはなりましたが、当時は、手でくるくる早回し、

ヒコーキ撮影で、モードラ3.5枚/秒は、あっと言う間、この巻戻しの為に何度、シャッターチャンスを逃した事か、それを嫌って、2台持ちという方も多かった?

ここまで書いてきましたが、ニコンにも弱点はありました。開放F値設定の問題です。

当時ニコンのカメラには、”爪”が付いていました。この”爪”が、カメラの絞り認識装置と連動する(手動)事によって、開放F値を設定する事ができるのです。

通常、f5.6で本体の”鍵”にレンズの”爪”を引っかけて、絞りを”ガチャガチャ”と往復させる儀式が必要で、あわててこれをミスると、絞りがロックされたり、露出計が連動してしまったりというトラブルもありました。

後年、ニコンもAiシステムとして、開放F値自動設定となって行くのですが…

その頃には、キャノンもNewFDとして、スピゴットマウントながら、回転機構をレンズ内に収め、バヨネットマウントと同じ使い勝手と、ロック機構を手に入れ両者の差はアマチュア間でも拮抗していったと感じられるものでした。

そして、大学を卒業する時に発売されたのが、”New F-1”ファインダー、同時期にニコンもF3を出してライバル関係は続きます。

そして最初の事件が!

事件が起きたのは、1987年!

キャノンが、一眼レフのオートフォーカスシステムとして、EOS650を発売したのでした!

レンズ内にAF駆動モーターを持つ為、キャノンは、FDマウントからあっさりEOSマウントに変更してしまったのでした。

当然FDとEOSでは、互換性はなし、EOS650はプロ用ではなかったのですが、FDレンズも終わりが見えてきました。

片や、ニコン、AF用ファインダーのF3にAF専用レンズながら、Fマウントを踏襲、その後のプロ用F4もFマウントのままAF化、そして従来のレンズもそのまま最新AF機にも使用可能という保守的ながら、アマチュア的には画期的なシステムだったのです。

おわりに

今回はここまで、長くはなりましたが、まだキャノンのメーカーの呪縛から10年少しのことろで、キャノンFDシステムに黄色信号が灯ってしまいました。

この続きは次回!

最後までご覧いただき有難うございました。

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